ピアノなどものづくりが盛んな浜松市

ヤマハ、カワイ、スズキの成り立ち

「山葉風琴製作所」は「山葉楽器製作所」となり、その後また「日本楽器製造株式会社」として大きくなり「ヤマハ」に成長していくのです。
河合小市は11歳で研究室長という役職をもらい技術者として活躍していたのですが、1916年に寅楠が亡くなってしまったのです。
そして2代目社長に「河合小市に対しては充分な処遇をしてほしい」という遺志を残したことで、小市は技術製造部門の最高責任者になり、さらに楽器製造の技術を磨いていくのでした。
しかし1926年4月に大きな労働争議が起こり会社も大打撃を受け楽器生産が止まってしまい、2代目社長も辞任することになったのです。
会社を再建するためには資金が必要なので、住友電工から社長を呼んで財閥の資金力を借りることになりました。
ところがその社長の経営方針に小市がなじむことができずに会社を去っていくことになり、その後同じ浜松で「河合楽器製造所」を設立したのです。
そののち1953年に学校で使う笛や鍵盤ハーモニカなどを製造する鈴木楽器も浜松で創業しました。
地元で生まれで幼いころからハーモニカが大好きだった鈴木萬治は河合楽器で働いていましたが、自分でハーモニカを創りたいということで独立しました。
農家の水揚げ小屋のモーターを夜だけ借り、プレスを動かしてハーモニカを造り始め鈴木楽器製作所を設立したのです。

浜松には多くの楽器メーカーが集まるヤマハ、カワイ、スズキの成り立ち世界的にも有名な「楽器の街」

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